先日、旦那とテレビを見ながらふとした会話になりました。
内容は「婚活パーティー」の特集で、
“愛嬌のある女性が人気”という話がテーマでした。
「私って愛嬌ある?」って何気なく聞いてみたんです。
そしたら、旦那はちょっと笑いながら「愛嬌って感じではないよね」とひとこと。
あぁ、やっぱりなぁって思いました。
自分でも薄々そう思ってたし、今までも“可愛げ”で得した経験って正直少ない気がします。
でも改めて、「じゃあ、愛嬌ってなんなんだろう?」と考えるきっかけにもなりました。
誘われなかった飲み会で感じた“壁”
入社して間もない頃。
職場で若手だけが集まる飲み会がよく開かれていたんですが、
私はそれに一度も誘われたことがありませんでした。
もちろん、行きたかったわけじゃないんです。
誘われたら日程次第で行ってもいいかな、くらいの気持ちだったし。
でも、「なんで私は声をかけられなかったんだろう?」って、どこか引っかかってたんですよね。
昔から私は、集団が苦手で、どちらかというと警戒心が強め。
1対1なら楽しく話せるのに、3人以上になると急に話せなくなる。
そんな自分を「可愛くないな〜」って思うこともありました。
愛嬌のある人って、やっぱり魅力的
私の周りにも、“愛嬌のかたまり”みたいな人がいます。
ちょっとした一言に笑ってくれたり、表情豊かで、いつも柔らかい雰囲気。
そういう人って、正直すごく得してる。
仕事でも話しかけられやすいし、何かと助けてもらいやすいし。
プライベートでも好かれる印象があって、「いいなぁ」って思うんですよね。
でも、それって私に必要なの?
ただ、それを自分が無理してやるべきか?って言われると、うーん……となります。
できたらそりゃいいけど、それが自分の魅力なのか?と言われると違う気もして。
愛嬌って、“素でできてる人”が一番強い。
だから私が一生懸命やっても、不自然になって疲れちゃいそう。
努力で身につく部分もあるかもしれないけど、
そもそも「そこまでして身につけたいか?」というと、今はあんまりそう思えないのかもしれません。
無い物ねだりじゃなく、“自分の強み”に目を向けたい
昔の私は、「もっと愛嬌があればうまくいくのかな」って悩んでた時期もありました。
でも最近は、
「いや、私は別のところで勝負したらいいじゃん」って思えるようになってきて。
たとえば、言葉を丁寧に選ぶとか、相手に対する配慮とか、落ち着いた接し方とか。
そういう部分って、無理して作らなくても自然にできるし、
それを“魅力”と感じてくれる人だって、きっといるはず。
愛嬌がない=ダメじゃない
愛嬌がある人は素敵。
だけど、愛嬌がない人がダメなわけじゃない。
それぞれに良さがあるし、無理に“愛されキャラ”にならなくてもいいと思う。
私は私なりに、自分のスタイルで人と関われたらそれで十分だなって、今はそう思っています🌿
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